私が日本でまだ大学の試験を受けている頃 そのおばさんは、みんなが道に迷っていたら おばさんもまた日本語が話せない。英語もだめ。 なのに、すっかり仲良しになっていた。 |
私もみんなと一緒におばさんの家に遊びにいった。 上海の夏は、それはそれは暑い。 汗だくのみんなを見かねたおばさん。 |
私達は、筆談や身振り手振りで会話した。 今日は"今天"。 そういった色々を、一つ一つ時間をかけて |
おばさんとお孫さん。 テレビに映っている人が、DJ赤坂に似てて気になった。 |
ある日おばさんの家に遊びに行くと、 中和辞書があった。 おばさんの旦那さんが買ってくれたそうだ。 ふたりともニコニコして辞書をみせてくれる。 辞書があって、前より具体的な情報をやりとり でも、言葉がもっと通じなかったときでも |
おばさんが出してくれた料理はどれも本当においしかった。 もう苦しいと言っても「いやいやまだまだ」もりっと盛られる。 |
おばさんは、私たちが行きたがった場所に 連れて行ってくれた。 入園料まで払ってくれた。 おばさんは団地住まいで 今思えば。 私たちは自分で払うつもりだったから |
私たちは、おばさん夫婦の年間所得くらいの額 保証人が必要だから無理だと言っていた。 |